患者さんからのメッセージ
腹膜透析の情報誌「スマイル」
患者さんの生活ぶりなどを動画でご紹介します。
記事の内容、執筆者の所属等は発行当時のままです。
当ビデオは、患者さんの主観に基づく内容・患者さん個人の経験によるもので、全ての方に該当するものではありません。
治療については、主治医にご相談いただきますようお願いいたします。
ビデオメッセージ
PDと決めた日は、ルンルン気分で帰宅!!
松浦元男さん(76歳)は、ご親戚に糖尿病体質の方がいらっしゃったことから、若い頃から毎日12kmのウォーキングをするなど、節制した生活を心がけてきました。しかし、次第に血糖値があがり、2006年にはクレアチニン値も上昇し、かかりつけ医から腎臓病の専門医のいる成田記念病院を紹介されました。
血液透析になると週3回は病院通いになって、体力は消耗するとの知識があったために、「血液透析になったら、人生これで終わりだな」とずいぶん落ち込んだそうです。そんなとき、主治医の大林孝彰先生から腹膜透析(PD)のことを聞きました。以前、松浦さんはテレビでPD治療をしながら仕事を続けているサラリーマンの姿を見ていたため、「PDができるなら今日、手術の日を決めてください!」と即答。病院を出たときから、心がいっぺんに晴れて「もう、ルンルン気分だったね」とおっしゃいます。
気持ちが弾むあまり、会社へ戻ると社員からは、「社長、今日は何かいいことあったんですか?」と聞かれたほど。家に帰ると、さっそく奥様に「来週、PDの手術をするぞーっ!」と明るい口調で報告しました。
PDのおかげで、ピンピン元気!
松浦さんは2010年夏に手術を受け、夜間に器械で透析液の交換をするAPDで腹膜透析を行っています。器械を22時にセットし、翌朝9時頃までには終了。午前中に会社へ着いて、昼食は社員とともに食べ、午後は打ち合せなどをしてから、18時30分頃には退社します。夜は、世界経済の勉強をしたり、執筆活動をしたりして1日を終えます。
APDの生活になってからは、午前中はビジネスの約束を入れないようにしていることくらいで、以前と何も変わらない生活を送ることができています。「厳密に言うと生活は以前と同じじゃないんです。導入前よりも楽。以前は、たんぱく質や塩分の制限を厳格に守っていたので、筋肉が落ちてやせていき、体力がなくなってひょろひょろしていました。でも今は、食事制限がゆるやかになったので、ごはんもしっかり食べています」と松浦さん。もちろん、塩分制限など、今でも透析導入前の食事制限の知識を活かしてうまく体調を管理しています。1年を経過した頃から体調はさらによくなり、体力がついてきたそうで、「今はPDのおかげでピンピン元気!」と満面の笑みで語ってくださいました。
休日は、カメラを抱えて三河湾周辺の風景写真を撮りに出かけたり、お孫さんと大阪のヘッドフォンショップまで遊びにでかけて何時間も滞在したり、しばし仕事のことは忘れ趣味に没頭していらっしゃいます。
PDを一人でも多くの医療関係者や患者さんに知ってほしい!
実は松浦さんは豊橋市内にあるプラスチック小型精密部品会社の経営者。ギネスブックにも登場する会社で、松浦さんご自身も何冊もの著書をもつ著名人です。だから器械操作はお手のもの。APDの器械を使うにつれ、その仕組みにも興味を持たれたそうで、「これを考えた技術者は素晴らしいね」といたく感心されていました。
写真:松浦さん(中央)と、担当医の大林孝彰先生(左)、尾崎看護師(右)
PD治療については「人生でこんなに大きなボーナスをもらったのは生まれて初めて!現役で働くというチャンスをPD治療からもらえたし、主治医で腎・糖尿科部長の大林孝彰先生や看護師の皆さんとも出会えたわけで、僕はラッキーです!」と喜びを表現されました。こんないい治療法があるのに、医師にも患者にもあまり知られていないのはもったいない。もっとPDの知識をもってほしい!と、講演会をはじめいろいろな場所で、PDの話をしていらっしゃいます。これからもお元気で、日本の企業にも元気を与えてください。
ドクターからのメッセージ
成田記念病院 腎・糖尿科 部長
大林 孝彰 先生
患者さんの貴重な時間を自由に使っていただけるのが腹膜透析(PD)のいいところで、積極的に治療を受けたいという方に向いています。松浦さんは上手に管理されていて優秀な患者さんです。これから6~7年とPDを続けて、時間に余裕ができたらHDを併用されるという方法もありますので、よりご長命でご活躍いただきたいと思っています。