患者さんからのメッセージ
腹膜透析の情報誌「スマイル」
患者さんの生活ぶりなどを動画でご紹介します。
記事の内容、執筆者の所属等は発行当時のままです。
当ビデオは、患者さんの主観に基づく内容・患者さん個人の経験によるもので、全ての方に該当するものではありません。
治療については、主治医にご相談いただきますようお願いいたします。
ビデオメッセージ
住み慣れた島で、家族一緒の生活を選択
御年94歳。篠﨑石男さんは、八丈島町役場に40年間勤務され、主に島民の相談を受ける仕事をされてきました。「だから島中の人が、僕のことをよく知ってるの。よく家に出かけていっては、お酒を飲みながら話をしたもんだ。いくらお酒を飲んでも、僕が酔いつぶれることはなかったねえ」と思い出話に花が咲きます。
篠﨑さんは50年前から糖尿病を患い、2009年には糖尿病性腎症と診断されて透析が必要になりました。しかし、通院先の町立八丈病院の血液透析室は当時満床状態。島には他に病院がないため、血液透析療法を受けるには、本土の病院に入院して、島の血液透析室の空きが出るまで待機しなければならず、その期間も長くなる状況にありました。
そんなとき主治医の金子朋広先生(日本医科大学付属病院 腎臓内科)から腹膜透析(PD)の話を聞いて、息子の石光さん(56歳)は弟家族とも話し合い、「父親が長年住み慣れたこの八丈島で一緒に暮らし、今まで通りの生活を送らせてあげたい!」とPDを選択したそうです。篠﨑さんは数年前に奥様をなくされ、現在は息子さん夫婦、お孫さんとの4人家族。ひとつ屋根の下で一家団欒を楽しみながら、ご家族と暮らし続けていらっしゃいます。
親子の絆を深めた、バッグ交換
篠﨑さんは1日3回、7時30分と14時、21時に息子さんと家族に手伝ってもらい、透析液の交換を行っています。PD治療を始めて1年4ヵ月、よかったところについて息子さんに伺うと、父親のPD生活が始まる以前は、父親と会話をすることもあまりなく、どこの家にもある普通の親子関係だったと言います。「けれど、透析液バッグを交換するようになってからというもの、親子の接点がもてるようになった気がします。じいちゃんも元気になってくれたし、CAPDにしてほんとによかったなと思ってます」との答えが返ってきました。交換作業のひと手間が、親子のふれあいの時間を提供でき、親子の絆を深めることにもつながったようです。
透析を始める直前は、38kgまで落ちていた体重も徐々に増えて現在は50kgになり、むくみもなく体調は安定しています。篠﨑さんご本人は、透析液交換時の感覚について、「痛くもかゆくもない!」と感想をうれしそうに話してくださいました。
これからの楽しみは孫の成長とゲートボールの再開
篠﨑さんは、ふだん1日のほとんどを自室でゆったりと過ごしています。孫の光子ちゃんが「おじいちゃん大好き!」と部屋にやってきて、友達みたいにいろいろと話してくれるのだそうで、幼い孫の日々の成長を見るのを楽しみにしています。
写真:篠﨑さんご家族(前列)と、(後列右から)担当医の金子朋広先生、八丈町立八丈病院 内科の木村先生はじめ、腎臓内科の医療スタッフの皆さん
もうひとつの楽しみは、テレビで野球や相撲を観戦すること。ひいきのチームや関取が勝つと、それはもう上機嫌になるそうです。ちなみに昨年は、応援していた巨人軍が優勝できずに残念でしたねと話しかけると、返ってきたのは一言。「そうね、業腹だね!(腹が立つ)」。お気持ちも元気な様子が伝わってきました。 また息子さんたちにとってうれしかったのは、PD治療をするようになって、篠﨑さんに「孫の成長を見届けたい」、「趣味のゲートボールを再開したい」という目標ができたことでした。
最後に篠﨑さんから力強い歌声のエールをいただきました。
「見よ 東海の 空明けてエー (中略) 希望は踊る 大八島 フレー! フレー!」
小学校時代に歌った野球の応援歌だそうですが、とても94歳とは思えない肺活量に感服。反対に長寿の元気をいただいて、島を後にしました。
ドクターからのメッセージ
日本医科大学付属病院 腎臓内科
金子 朋広 先生
篠﨑さんのような超高齢者には、島でこれまで通りの生活を維持していただけるPDが望ましいと思っています。八丈島へは本土から月1~2回のペースで診察に来ますが、ご家族の介護がうまくいっていること、病院に篠﨑さんの顔なじみの医療スタッフがいて、強い信頼関係が築けていることが、離島でもPD生活を送っていただけるポイントになっていると思います。