患者の達人
腹膜透析の情報誌「スマイル」
2022年スマイル冬号 腹膜透析(PD)と共に自分らしく暮らす患者さんをご紹介します。
記事の内容、執筆者の所属等は発行当時のままです。
PDの処方は医師の判断に基づき行われます。また、「患者の達人」の記事には患者さん個人の感想・意見が含まれており、全ての方に該当するものではありません。
昼間自由に過ごしたいとPDを選択
石垣島で暮らす玉城さんが、心筋梗塞の疑いのためヘリコプターで那覇市内の病院に搬送されたのは2015年のことでした。そのときの検査により腎不全であることが判明。退院時に栄養指導を受け、その後は食事に気を付けながら治療を続けてきましたが、2019年7月に主治医から透析が必要と告げられます。「家族と一緒に考えてくださいと言われ、インターネットや書籍で調べたり、血液透析(HD)治療中の知人に話を聞いたりしました。
写真:前列左から嘉良師長、宮里先生、杉山先生
後列左から東風平さん、原國さん、松井さん、安慶田さん、大濵さん
週3回通院して4時間治療を受けるHDでは、治療日はほとんど何もできないように感じました。一方、PDなら夜間に機械で透析液を交換する方法(APD)があると聞いて、『それなら昼間は自由に活動できる。やるんだったらこれだ』と思い、決めました」と振り返ります。
翌月にはPD導入のため入院し、9月にはAPDを開始しました。「慣れるまでは手順を間違えたりして、機械によく叱られましたよ。でも、今は機械とも仲良く、楽しくやっていますよ」と笑う玉城さん。治療開始前は心配だったと言いますが、現在は機械の準備や操作はご自身で行い、排液の処理はご家族にお願いするなど、ご家族の協力と週1回の訪問看護師のサポートで、順調なPDライフを送っています。
朗読劇や紙芝居などで戦争マラリアの悲劇を語り継ぐ
玉城さんの趣味は三線と唄。三線は安室流師範の腕前で、ニューヨークのカーネギーホールで開催された「日本の祭典」で演奏したこともあります。コロナ禍で演奏会ができない現在も、自宅で毎日1時間、三線を弾きながら唄をうたっています。もう1つの趣味は畑仕事。パパイヤやマンゴーなどの南方系の果樹や野菜を育てています。畑で作業をしていると、国指定天然記念物のヤエヤマセマルハコガメが4匹ほど遊びに来ることも。「畑のミミズをもらえると思ってか、私が行くと列をつくって寄ってくるんです。とてもかわいいですよ」と、かわいいお客さんとの時間を楽しんでいます。
玉城さんは以前、「八重山戦争マラリアを語り継ぐ会」の会長を務め、語り部としても活動していました。「戦争マラリア」とは、第二次世界大戦末期の沖縄県でマラリアの有病地に強制的に疎開させられた一般住民などが罹患したマラリアのことです。波照間島出身の玉城さんも、当時マラリアにかかり生死をさまよった経験を持ち、沖縄県史編集事業で、波照間島の聞き取り調査を担当したことをきっかけに戦争マラリア問題に取り組み始めました。「八重山戦争マラリアを語り継ぐ会」では、朗読劇や紙芝居などで戦争マラリアの悲劇を語り継ぎ、平和の尊さを訴えています。
現役時代に執筆した沖縄県史、竹富町史などをまとめて日本最南端の自然、歴史、民俗文化を伝える冊子をつくることが今後の目標という玉城さんから、最後にメッセージをいただきました。「家族を含め、私の透析に協力してくださっている皆さんに、本当に感謝しています。おかげで85歳を迎えることができました。111歳まで長生きした家内の母親は、朝晩必ずベッドの上で体操をすることが長寿の秘訣だと言っていました。私も時間を見つけてやっています。透析をしていると運動不足になりがちですので、私と同じPD患者さんにもぜひベッド上での体操をお薦めしたいですね」。
ドクターからのメッセージ
沖縄県立八重山病院 内科
宮里 均 先生
以前勤務していた本島の県立病院でも高齢のPD患者さんを診ていましたが、中でも玉城さんはとても人生を楽しみながら透析を行えている方だと感じています。コロナワクチンも既に4回接種し、肺炎球菌ワクチンも接種するなど、自らの健康管理に積極的に取り組まれています。そして、血液データもKt/V 1.78と良好です。もちろんこれらはご本人の力だけではなく、周りから支えてくれるご家族の協力があってのものだと思います。与那国島、西表島、波照間島など当院のある石垣島から離れた八重山諸島在住の方も、当院でPDを導入しています。HD施設がない離島で、それまでの自分の生活を続けながら治療を受ける方法として、PDは選択の1つだと考えます。