患者の達人
腹膜透析の情報誌「スマイル」
2018年スマイル夏号 腹膜透析(PD)と共に自分らしく暮らす患者さんをご紹介します。
記事の内容、執筆者の所属等は発行当時のままです。
PDの処方は医師の判断に基づき行われます。また、「患者の達人」の記事には患者さん個人の感想・意見が含まれており、全ての方に該当するものではありません。
家でできて仕事が続けられるPDを選択
田畑さんが腎臓が悪いことに気付いたのは4年前のこと。定期健診での要再検査判定を放っておいたところ、半年後には身体がだるくて大好きなお酒が飲めないほど具合が悪くなっていました。息子さんに促され受診すると即入院という状態で、医師から腎機能が悪化していてよくなる可能性はなく、いずれ透析が必要になることを告げられたそうです。田畑さんは「自分の身体はもう先がない。もうダメだと思った」と言います。
写真:スタッフの皆さんと
前列左から平野先生、田畑さん、美津子さん
しかし、美津子さんが食事指導に従って調理法や献立を工夫し、無理をしない生活を心がけたところ、クレアチニン値が回復し、そのときには透析導入に至らずに済みました。ところが、3年ほどたつと落ち着いていた検査値が悪化し、いよいよ腎代替療法が必要となりました。主治医の平野先生から治療の選択肢について詳しい説明を受けた田畑さんは、家でできるからという理由でPDを選択しました。「仕事が続けられるし、血液透析(HD)を行っている親戚から大変だという話も聞いていたしね」。一方、美津子さんは「“無菌の部屋が必要”“腹膜炎になる”といったPDに対してマイナスの噂ばかりを耳にしていたので、とても不安でした。でも、先生が1つ1つ丁寧に説明してくださって、徐々に不安は解消しました」と当時を振り返ります。
2017年2月にPDを始めた田畑さんは、苦労しながらもPDの手技を覚え、退院後はすぐに畜産と農業の仕事に復帰しました。しかし、「体調は良かったけど、1日に4回のバッグ交換があったので、その合間に仕事をする感じでしたね」と田畑さん。「食事制限は少し緩やかになり、食事づくりは楽になりましたが、主人は12時と17時のバッグ交換のために1時間ほど前から仕事を切り上げて家に戻るので、常に時間に追われている毎日でした」(美津子さん)。
不安が大きかったAPDへの変更
そうした生活が8カ月続いたころ、先生から寝ている間にバッグ交換を機械で行う方法(APD)を紹介されました。田畑さんは「それは楽だとすぐに飛びついた」と言います。一方、美津子さんは「せっかく慣れてきたところでしたし、APDは島で初めてだと聞くし、停電になったらどうしようとか、寝ている間に機械が壊れないかとか心配で。初めのうちは夜中に起きて機械がちゃんと動いているか確認していたほどです」と大きな不安を抱えてのAPD開始だったそうです。
しかしAPDに慣れたことで、そんな美津子さんの不安も解消されていきました。田畑さんがバッグ交換のために自宅に戻ることもなく、以前と同じように農作業ができるようになった様子に、「今では、作業を中断して帰ってくることもないですし、私が夕食の準備をしている間に主人がAPDの準備をするという生活のリズムもできて、本当に楽になりました。昼に時間の余裕ができたので、諦めていた娘や親戚を訪ねる旅行もできそうだねと話しているところです」とほほ笑みながら話してくれました。
畜産・農業の仕事は多岐にわたりますが、力仕事や畑の段取り全般は息子さんに任せ、ご自身はトラクターやショベルカーを操って牛の餌となる牧草を刈って運んだり、お孫さんと一緒に収穫したジャガイモの土を落としたりと、役割を分担しながら家族で一緒に農業を営む田畑さん。「仕事以外の楽しみは、日課の犬の散歩と、時々友達や奥さんと行くカラオケかな。でも、孫と一緒にする農作業はやっぱり楽しいね」と、優しい笑みがこぼれました。
ドクターからのメッセージ
大阪医科大学附属病院 血液浄化センター
沖永良部徳洲会病院 腎臓内科 平野 一 先生
田畑さんに腎不全治療が必要となったとき、HDだけでなく移植やPDという選択肢があることを説明したところ、ご本人がPDを選ばれました。停電が多いなど離島ならではの事情もあり、PDを選択したときも、またCAPDからAPDに変更する際も、奥様にはさまざまな不安があったようですが、導入後は特に問題もなく、ご家族で協力しながら畜産や農業の仕事を行い、元気に過ごされています。奥様が食事管理もしっかりされ、経過も良好です。今後も、塩分制限を行い、好きなお酒は飲み過ぎないようほどほどに楽しみながら、なるべく長くPDを続けられるように頑張っていただきたいと思います。