患者の達人
腹膜透析の情報誌「スマイル」
2018年スマイル秋号 腹膜透析(PD)と共に自分らしく暮らす患者さんをご紹介します。
記事の内容、執筆者の所属等は発行当時のままです。
PDの処方は医師の判断に基づき行われます。また、「患者の達人」の記事には患者さん個人の感想・意見が含まれており、全ての方に該当するものではありません。
HD併用の可能性からPD選択を躊躇
料理人として忙しいときは1日13~14時間も働き続けてきた村岡さん。初めて病気に気付いたのは20年ほど前でした。大晦日からずっと仕事を続けていた正月、突然真っ赤な血尿が出たのです。慌てて受診すると、事故で若くして亡くなったお父様と同じ多発性囊胞腎だと判明しました。しかし、そのときは血尿がすぐに治まったこともあり、仕事に没頭して腎臓のことはすっかり忘れてしまいました。
写真:スタッフの皆さんと。
前列左から2人目が中谷先生(主治医)3人目が村岡さん
ところが8年前、今度は歩けなくなる程にかかとに激痛が走り、整形外科を受診。すると、骨や神経に異常はなく、血液検査の結果から痛風との診断を受けました。内科を紹介された村岡さんは、そこでようやく多発性囊胞腎のことを思い出します。内科の先生から慢性腎不全で将来透析の可能性があると告げられました。その後、徐々にクレアチニン値が上昇し、専門医がいる京都山城総合医療センターに紹介されたのです。
体調が悪く、残された腎機能を少しでも長く保てるようにと体への負荷が大きかった料理人の仕事は辞め、食事療法を行っていましたが、いよいよ透析が必要になりました。「血液透析(HD)とPDの説明を受け、PDを勧められました。しかし、多発性囊胞腎で腎臓が大きくなっているため、お腹に入れられる透析液の量によってはHDとの併用になる可能性もあると聞いて、PDを選択するのを躊躇してしまったのです」と当時を振り返ります。結局HDを選択し治療を受け始めた村岡さんですが、食事や水分の摂取制限が厳しい上に5時間じっと寝ていなければならないのが性に合わず、PDを希望するようになります。
逆転の発想でPDにチャレンジ前向きな気持ちになれたPDをもっと普及させたい
主治医の先生に相談すると、いまからでもPDはできると太鼓判を押された村岡さんは、カテーテル挿入手術を受け、PDを開始しました。「HDとPDの併用では手術を2つしなければならないのが嫌でPDを諦めたのですが、既に1つ手術したので、あと1つで済むと逆転の発想でした。PDができなければHDに戻ればよいだけですから。今はPDだけでうまくいっています」。
現在、村岡さんは団体職員として働きながら1日3回のCAPDを行っています。平日は8時半から17時までフルタイムで勤務。上司の勧めでフォークリフトや乙種危険物取扱者の資格も取得しました。週末は奥様とともに映画鑑賞やドライブなどで過ごし、座ってできるからと病気になってから本格的に始めた将棋に夢中になるなど、仕事や趣味と治療を上手に両立させています。『 スマイル』2017年春号の巻頭特集で病気を受け入れるまでには「落ち込む」、「避ける」、「闘う」、「折り合う」、「受け入れる」の5段階の気持ちの変化があるという記事を読んだ村岡さんは、「私もその全ての気持ちを経験し、今では受け入れ、共存するとともに、私が前向きになれたPDをもっと普及させたいと強く願っています。PDも選択できる方が、PDを知らないままHDをしているのは嫌なのです。私自身は、PDができたこと、先生方や看護師さんにいつも相談に乗っていただけることに感謝しています。1日でも長くPDを続けたいですね」と熱く語りました。
ドクターからのメッセージ
京都山城総合医療センター
腎臓内科 部長 中谷 公彦 先生
村岡さんはとても勉強熱心で、病気や治療についてしっかりと把握し、パソコンで治療結果のグラフの作成をするほど自己管理をきちんとされています。半面、神経質になり過ぎない程度の大まかな性格も持ち合わせています。PD導入後、そけいヘルニアの手術をしましたが、その後も順調にPDを続けています。多発性囊胞腎の場合、腎臓が大きくなり、そけいヘルニアになりやすいのですが、自尿が保たれることも多く、PDができないということはありません。自ら治療するという意識を持ち、PDが好きな村岡さんにはぴったりの治療だと思いますので、今後もできる限り自分で治療を続けていただきたいですね。私はそれを手助けします。